mamebro

202号室

この年齢になるまで、妊娠しても出産する前に流れてしまうことがこんなに多いなんて、知らなかった。

インターネットとは新しいものが入っている容器のことで、インターネットそのものに実体はないんだ。新しい友達、新しい仕事、新しいお金、新しいことばに出会うたびに、ぼくはインターネットが新しいのだとずっと思っていた。ぼくはインターネットをずっと探していた。そのことに気がついて、やっとぼくはインターネットをやめられる気がしてきたんだ。

べつにいまの部屋が気に入らないわけじゃないんだけど、来年 2 月で更新かあって思うと、更新料として倍の家賃を払うほどの部屋なのか… とは思ってしまう。 2 年おきに謎の大金を払う慣習はなんなんだろうね。

それで、たまに思い出したように部屋を探してる。できれば、またおかしな間取りの部屋がいいなあと思って検索する。こだわり条件に「メゾネット」とか「地下室」を指定すると、比較的へんな部屋がでてくる。でも、やっぱり現実的な家賃じゃないよね。

このままだったら、たぶん親よりも年収が少ないままの人生になると思う。それは、がんばればいいだけなんだけど、なんか、いまはがんばれそうにない。わたしは、いいところに住みたいんじゃなくて、へんな部屋に住みたいだけなんです。

ひとりで家賃に払えるお金は限界がある。いっそ、誰かと複数人で一軒家でも借りたくなる。というか、ひとりで暮らすことに、もう飽きてるのかも。この部屋に住むことに決めたとき、たぶん 25 歳とかだったと思うけど、もしこの部屋に 5 年くらい住んだら 30 歳かあ… って思ったこと、いまでも覚えてる。なんでかって、そんな 30 歳いやだなって思ったからだ。

ちゃんと土日に風邪ひいて月曜の朝には出勤できる自分はえらいと思う

37.4 ℃

38.4 ℃

37.4 ℃

みんな〜

連投なおしたいな

たのしかったね

おつかれした

ポイズン

ポイズン

こんな世の中じゃ。。。

こんな世の中じゃ。。。

こんな世の中じゃ。。。

わーい

コーヒー豆

おっ

おっ

uuu

できてきた

できてきた

できてきた

できてきた

そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。

十八等官でしたから役所のなかでも、ずうっと下の方でしたし俸給もほんのわずかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で生れ付き好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園に拵え直すというので、その景色のいいまわりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。

あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。

またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや、顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デストゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考えていると、みんなむかし風のなつかしい青い幻燈のように思われます。では、わたくしはいつかの小さなみだしをつけながら、しずかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけましょう。

できたよ!